「嫌煙」という語は、もうなくしましょう ~ 新聞論説より
良い論説がありました。
受動喫煙問題をよく取り上げている『北海道新聞』のコラムです。
29 「嫌煙」が不要になる社会に
=『北海道新聞』(コラム)「ことばの森へようこそ」05/13 11:00= ※リンクは非公開となりました。以下の引用のみお読みください。
以下抜粋、「……」は文省略・太字化は引用者によります。
“改正健康増進法が全面施行され、1年が過ぎました……昨年11月に公表した市民意識調査によると、法改正後、受動喫煙の機会が「減った」と答えた人は約5割に上りました”
“ 一方、法律を率先して順守すべき人々の規範の低さも露呈しました……複数の道議が庁舎内の個室や駐車場で喫煙していることが報道されました。国会議員による議員会館での違法喫煙もありました……喫煙した議員たちは「子どもがいない場所だから、いいだろう」と考えた訳でもないでしょう”
文末、以下の主張について、共感、これは活動者間でともに考え、共有したい認識だと思いました。
“ 愛煙家という言葉からは、一息ついて紫煙をくゆらすイメージが湧きます。しかし、その横にいる人が呼吸器疾患などだとしたら、嫌煙家の表現は適切とは言えないでしょう。
受動喫煙防止が浸透するにつれ、「嫌煙」の言葉は消えていくのかもしれません”
以下の過去の記事ひとつ目の、最後の引用記事にもありますが、「嫌煙」などという語は、本来おかしなものです。
受動喫煙は、「被害」なのです。
[当サイト関連既報]※他にもありますので、検索窓で引いてみてください。
2月18日は“嫌煙”の日です。 ’20年2月
「受動喫煙防止条例」の解説ユーチューブ映像(東京都)/“愛煙家”って何だ! ’18年10月
☆『STOP受動喫煙 新聞』第16号(’16年10月)の「“タバコを忘れた国”ブータン」もご参考まで。
以前から「嫌煙」という言葉を使うことで「好き嫌いの話」に矮小化されるから良くないと考えてました。「好き嫌いの話」ではなく、生存権や健康を維持する人権の話と思いますね。