“日本は「分煙」後進国” ~藻谷氏論説より
本ニュース5月18日で良い対談論説としてあげた、藻谷浩介氏の、単独での論説も紹介します。
『【アジア最後進の「分煙」国】』
=『西日本新聞me』2017年5月14日(ネットは翌日)=
以下抜粋、「……」は文省略・太字化は引用者によります。
“◆「喫煙ファッショ」終止符を”
“「分煙」などというものは、日本でしかお目にかかれないガラパゴス的ルールだ”
“外国人観光客が急増しているが、彼らが飲食店内で漂ってくる煙に驚き、非喫煙者のみならず喫煙者であっても、その多くがそれを不快に感じている”
“ そんな中だというのに自民党は……飲食店内を完全禁煙にするとの厚生労働省の方針に対して、これを骨抜きにするような対案を出そうとしている。もはや「アジアの恥」と言っても差し支えない事態”
“「日本は素晴らしい」と、外国をよく知りもせずに連呼する最近の風潮と、彼らの世界の笑いものになりかねない鎖国的な認識は、通じ合っている”
“ そもそも日本国内での喫煙に関する議論はずれている……話を「好き嫌い」のレベルに設定して、その両立を図ろうというような話になっている……世界中で飲食店内の全面禁煙が当たり前になっているのは、問題設定自体が日本とは違うからである。誰にも他人に自分の吐いた煙を吸わせる権利はないし、誰にも他人の吐いた煙を我慢する義務はないということがそもそもの前提なのだ”
“合法的な嗜好(しこう)品なのだから、吸いたいだけお吸いになったらよろしい。もちろん吸いすぎの人の健康保険料を値上げするくらいのことは当然やるべきだが、それでも吸うのは自己責任”
“ だが、いかなる愛煙家も他人に自分の吐いた煙を吸わせる権利は持っていない”
“お酒が好きでも、他人の口にアルコールを注ぐ権利はない……裸になる権利があるが他人に自分の裸を見ろと無理強いする権利はない……歌を歌う権利があるが、マナーの観点で歌っていい場所は限られる。排せつは天与の権利だが、よほどの緊急事態でない限り飲食している他人の前でやってはいけない”
“ 同じことで、たばこを吸うのは個人の完全なる権利だが飲食をしている他人の口や鼻の周りにたばこの煙を漂わせる権利は、誰一人持っていないのである。それは喫煙者による権利の乱用であり、やれば立派にハラスメントだ”
“飲食の場での喫煙は、本来ハラスメントなのに黙認されてきた……最近まで電車の中でもオフィスでも喫煙が認められていたのと同じで、権利の乱用が大目に見られていただけのことである。「引き続き大目に見るべきだ。公共の場を禁煙にするのは禁煙ファッショだ」という批判があるが、自分の吐き出した煙を他人に吸わせることこそ「喫煙ファッショ」だろう。一滴も飲めない人に無理に酒を飲ませるのが、暴力行為であるのと同じだ”
結論。
“ いま日本が問われているのは、世界共通のこういう理屈を、理屈通り受け入れる理解力、基本的な人権感覚があるかということだ”
“タクシーの全車禁煙の時と同じで、全店一斉に実施すれば客が減ることもない”
一年前のものですが、古くありません。ということは、日本が進歩していない、ということですが。